熊本平野の巨大洪水地形と活断層
2016.9.13
池田 安隆
中央構造線は,西南日本では言わずと知れた大断層です.それは昨日今日に突然出現した訳では無く,一億年以上の長い時代にわたって繰り返し活動し,その結果として現在見る様な長大な断層に成長したのです.この種の断層は長年繰り返しすべったことによって断層面が「磨かれて」すべりやすくなっています.
そのために,(1)小さな力で破壊が始まる(断層面の強度が弱い),(2)一旦始まった破壊は止めどなく伝播し,巨大地震を引き起こす,という特徴があります.
中央構造線は最近の地質時代(過去数百万年間)は西南日本部分だけが活動しています.活断層としての中央構造線の東の端は,奈良県五条にあり,ここでは金剛山地東麓に沿って発達する南北方向の逆断層とぶつかって終わります.この巨大活断層が西方へはどこまで延びるかというと,伊方原発のある佐多岬の北縁をかすめて大分平野に入り,阿蘇の真ん中を横切って,布田川断層—日奈久断層へと続きます.さらに西方へ延びて八代海に入り,水俣沖が西の端となります.中央構造線が九州を横断する区間のうち,東半分は新しい火山噴出物で覆い隠されて位置がはっきりしませんが,重力異常図(ブーゲ異常図)でみると明瞭な急変帯を成していることが分かります.別府湾南縁から水俣沖まで続く中央構造線の西方延長部は,昔から「大分—熊本構造線」という名前で呼ばれていました.
九州には短い活断層が無数に発達していますが,そのうち大部分は中央構造線(=大分—熊本構造線)の北側に分布し,この大断層から髭が伸びるように派生しています.これら無数の髭は正断層であり,幾つかの地溝帯を形成しています:別府(速見)地溝,万年山地溝,崩平地溝,雲仙地溝,等がその例です.このような活断層の分布からみると,九州では中央構造線の北側でそれに接する広い範囲(中部九州)が引き延ばされるような変形を受けていることが分かります.例えて言えば,中部九州の活断層群は,焼いた餅を引き延ばした時ぱりぱりの表皮にできる無数のひび割れです.
九州から離れてもっと遠方から活断層図を眺めるともう一つ面白い現象に気がつきます.(活断層としての)中央構造線の西端(の北側)には,上述のように地殻が引き延ばされてできる無数の正断層があります.一方,中央構造線の東端(の北側)には,南北方向に延びる無数の逆断層が発達し,生駒,金剛,比叡,鈴鹿,養老等の小規模山脈を隆起させています.つまり,
(1)中央構造線の東端と西端とに地殻の変形が集中する領域がある,しかし
(2)変形の仕方は全く異なり,西端では引き延ばしが,東端では逆に圧縮が起こっています.
中央構造線の両端では何故このように対称的な変形が起こるのでしょうか?
最も単純で私がお気に入りの説明は,中央構造線の横ずれ運動に伴う応力集中が原因という説です.中央構造線は平均すると100万年につき約5キロメートルという地質学的には極めて大きい速度で右ずれしていますから,これが中部九州と近畿地方との地殻変形の要因であるというのはかなり尤もらしい説だと思います. ただしこの説には(おしなべてすべての仮説がそうであるように)ほころびがあります.横ずれ断層末端の応力集中は,断層の南側でも起こるはずですから,紀伊山地には正断層があるべきであり,九州山地では逆断層ができるべきです.しかし実際にはこれらの地域に活断層はほとんどありません.これに関してはいろいろな言い訳ができますが,玄人が一番納得しそうなのは中央構造線が(垂直では無く)北に傾斜しているから,という言い訳です.詳しい説明は省きますが,断層が傾斜していると歪みは断層の上盤側(自由表面側)の地殻にしわ寄せされるから,と言うのがその理由です.
さて話しを九州に戻すと,今回一連の地震活動の中で2016年4月の本震で動いた(地表までずれが及んだ)のは,布田川断層の一部(阿蘇立野から御船町滝川に至る区間;全長26 km)です.つまり,本震では,主断層である中央構造線の一部が動いたことになります.ところが,本震以外のおびただしい数の地震は,本震とは直接の関係が無く,中央構造線の近傍からその北側へと広がるかなり広い範囲で起こっています.何故このような地震活動が生じたのか,その地下でどの様な地殻変形が起こっているのかは謎です.
布田川—日奈久断層(=中央構造線)の北側に広がる熊本平野は,従来の活断層分布図では断層の無い空白域とされていました.しかし,今回の地震活動では,この空白域で沢山の地震が発生しました.熊本大学の渡邉一徳氏(1984)は平野内にいくつかの比較的長大な断層崖があることを早くから指摘していましたが,ほかの多くの研究者はこれらが河川の侵食で形成されたと見なして断層の可能性を否定していたのです.ところが,熊本平野の地形の成り立ちを再検討したところ,渡邉一徳氏の指摘が正しかったのではないかと考えるに至りました(池田,2016,地震予知連絡会会報,96巻,印刷中).詳しくは地震予知連会報をお読みいただくとして(予知連のホームページからダウンロード可能),このように再評価するに至った経緯を如何に紹介します.
阿蘇火山は過去4回巨大な噴火を起こしたことが地質学的調査によって分かっています.4回とも大量の火砕流を放出しましたが,約9万年前に起こった最後の噴火が最も大きく,この噴火で放出された軽石や火山灰などの混合物(Aso-4 火砕流堆積物と呼ばれる)はほぼ九州全域を覆って堆積しています.熊本平野もほぼ全域が厚い Aso-4 火砕流堆積物で覆われています.
約9万年前のこの巨大噴火に伴って大量のマグマが放出された結果,地下深くにあったマグマ溜まりの天井が陥没し,大規模なカルデラ地形ができあがりました.カルデラには当然雨水が溜まります.カルデラ湖の湖面は標高1000メートルを超えたはずですが,こんな不安定な状態が長続きするはずはありませんから,湖形成後短時間にして決壊し大洪水が発生したはずです.このような大規模洪水の存在を証拠だてる体積物が阿蘇外輪山の西麓で最近発見されました(片岡・宮緑, 2011; Tsukamoto et al., 2013).
私は熊本地震が起こったのを期に,熊本平野の断層地形を再検討している過程で片岡さん等の論文に行き当たり,そして興奮を覚えました.近代地質学の基礎は斉一説にある,などというお題目は地質学をつまらない学問にするだけです;地学の醍醐味は何と言っても天変地異です.その目で見ると熊本平野西麓には,なにやら怪しげな地形が沢山見つかるのです.どんな地形が怪しげか,先ず地球と火星の典型例を示して説明しましょう.
北米大陸の西部,アラスカ山脈から北部ロッキー山脈とその西側の海岸山脈を含む広大な領域は,かつてコルディエラ氷床と呼ばれる大規模な氷河に覆われていました.コルディエラ氷床の縁には氷河の溶け水が溜まって大規模な湖(Lake Missoula)が形成されていましたが,最終氷期末期の温暖化によってこの湖が拡大し,ついには(約 13,000 年前)決壊して巨大洪水を引き起こしました(Bretz, et al., 1956; Baker, 2008, など).コロンビア川上流域にはこの大洪水で浸食された地形が広範囲に分布しています(図1).大洪水が通り過ぎたあとは,巨礫が散在する不規則な形の流路跡で特徴付けられる不可解な地形をなし,“Channeled Scablands” とよばれていました.命名者の Harlen Bretz はこれが天変地異的な超巨大洪水によって形成されたという説を1920年代から主張してきました.しかし,斉一説的世界観が支配する当時の学会にあって天変地異説は分が悪く,Bretz の主張が受け入れられるまでに実に数十年の歳月が必要でした.
NASA による火星探査が始まると Bretz の研究が再び脚光を浴びるようになります. 火星にも似たような(しかしさらに大規模な)洪水地形が見つかったのです(たとえば Baker and Milton, 1974; Baker, 2008).
図2は,2001年に打ち上げられてから現在に至るまで火星表面の映像を撮影し続けている長寿の人工衛星 Mars Odyssey orbiter によって撮影された火星の洪水地形です.この写真にも Channeled Scablands にあるものとそっくりな形をした涙滴形の丘があります.これらは衝突クレーター外縁の地形的高まりを頭にして,そこから洪水の流下方向に向かって尾を引くような形をしています.図2中にはこうした涙滴形の丘が三つあり,それらを取り巻く低地には流水による浸食によって平行する無数のひっかき傷ができています.洪水で削られたこの低地面にも沢山の衝突クレーターがあります; 最大のクレーターは図2の右下隅にありますが,子細に見るともっとずっと小さいものも無数に認められるでしょう.これらはすべて洪水によるひっかき傷が刻まれた後で出来たことが分かります(ひっかき傷とクレーターとの斬り合いの関係を子細に観察してください).
この写真にはもう一つ示唆に富んだ地形が写っています.図2に白矢印で示す位置に,流路跡を横断する皺状の地形的高まりが一筋見えるでしょう.この皺の上流側(画面右手)の縁は,一部で急崖をなしています.結論を言うと,この皺は(1)逆断層によってできた地形であり,(2)断層面は下流方向(画面左上方向)に傾斜していて,多分かなり低角度です.(3)動いた時代は洪水流下後です(それ以上詳しくは分かりません).どうしてこういう結論が導けるのかお分かりでしょうか? 前述の衝突クレーターに関する説明を思い出してみれば,(3)は何となく納得できるでしょう.(1)と(2)は少し専門的な予備知識というか予見を必要としますので説明するのは少々しんどいですが,概要は以下の通りです.
先ず(1)に関して言えば,成因として考えられるのは,侵食,堆積,断層・褶曲の三つの作用でしょう.洪水流によるひっかき傷はこのしわを横切って途切れること無く連続しています.もしこの皺が洪水後の侵食や堆積作用でつくられたとするとこうはなりませんから,前二者の可能性は否定されます.したがって,この皺は断層・褶曲等の地殻変形によってできたであろうと,消去法的に結論できます.これが逆断層でしかも下流側傾斜であるという推論は,断層運動に伴う地表変形に関する理論的/実験的/経験的研究に基づいています.図2で見るとこの皺状の高まりの上流側の縁は急崖になっていますから,地下の断層は此処に顔を出していると推定されます.一般に,断層面が垂直だと地表変形は断層を境に両側で対称になります.断層面が傾斜していると,変形は上盤側(正断層なら隆起側/逆断層なら低下側)に集中します.したがって,図2の皺を作った地下の断層は下流方向に傾斜し,しかもそちら側が隆起しているから逆断層であると推定できます.
熊本平野をほぼ覆い尽くしている阿蘇火砕流(Aso-4)の台地は,琢磨砂礫層(宮本ほか,1956)という名前で呼ばれる正体不明の河川体積物によって広く覆われていることが知られていました.この砂礫層は,巨礫が混じっていたり,現在の河川と関係ないところに分布していたりするので,カルデラ湖決壊洪水の体積物では無いかと疑われ始めました(片岡・宮緑, 2011; Tsukamoto et al., 2013).台地上に分布する涙滴形の浸食地形や琢磨砂礫層の分布から判断すると,カルデラ決壊は現在の阿蘇火口瀬より少し北側で起こり,洪水流はここから阿蘇外輪山の西麓に放射状に広がったと推定されます(池田,2016).白川の北岸には,東西に延びる約20キロメートルの崖が存在します.この崖は白川による普通の侵食作用によって形成されたという「斉一論的」な常識が今まで支配的でした.しかし,あたかも図2の「皺」の例で示したように,洪水跡の地形は白川北岸の崖を横切って連続している様に見えます(池田,2016).ということは,この崖が断層崖であるとする渡邉一徳さんの指摘(渡辺,1984など)が正しかったということになります.
人為的な地表改変によって,熊本平野の洪水地形は火星ほどはっきり残ってはいません.しかし,地球は現地検証が可能です.今後の野外調査によってカルデラ湖決壊洪水の実態を明らかにすれば,熊本平野の活断層に関してももっと確かな議論ができるようになるでしょう.
文献
Baker, V.R., and Milton, D.J. (1974) Erosion by catastrophic floods on Mars and Earth: Icarus, 23, 27–41, doi: 10.1016/0019-1035(74)90101-8.
Baker, V.R. (2008) The Channeled Scabland: A retrospective, Annu. Rev. Earth Planet. Sci., 37 (6), 1-19.
Bretz, J. H., Smith, H. T. U., Neff, G. E. (1956) Channeled Scabland of Washington: New data and interpretations, Geol. Soc. Am. Bull. 67, 957–1049.
池田安隆 (2016) 熊本平野における活断層分布の再検討,地震予知連絡会会報,96(印刷中).
片岡香子・宮縁育夫 (2011) 阿蘇カルデラ西麓に発達する緩傾斜含巨礫扇状地の形成とカルデラ湖決壊洪水の可能性,地質学会講演要旨, 118, 115.
宮本 昇・柴崎達雄・高橋 一・畠山 昭・山本荘毅 (1962) 阿蘇火山西麓台地の水理地質, 地質学雑誌, 68, 282–292.
Tsukamoto, S., Kataoka, K., and Miyabuchi, Y. (2013) Luminescence dating of volcanogenic outburst flood sediments from Aso volcano and tephric loess deposits, southwest Japan, Geochronometria 40, 294–303.
渡邉一徳 (1984) 熊本周辺の活断層群について,熊本地学会誌,76, 9-16.
第1図. 地球の大洪水地形.北米西部のコルディエラ氷床縁辺に形成された氷河湖の決壊による洪水地形(Channeled Scabland).涙滴形に削り残された丘の形状に注意.洪水の流下方向は南南西.地形陰影図は3秒グリッドのSRTM地形データから作成した.図の中央の位置は西経118.0度/北緯48.0度.
第2図. 火星の大洪水地形. Mars Odyssey orbiter によって撮影された映像.涙滴形に削り残された丘とそれらを取り巻く流路跡の地形が認められる.流路の上には,衝突クレーターや逆断層によってできた皺状の地形が(矢印)発達するが,これらはすべて洪水の後に出来た地形である.写真の位置は北緯15.9度/東経330度.撮影範囲の横幅は約50キロメートル;画面の上方が北.(NASA/JPL-Caltech 提供; http://www.jpl.nasa.gov/spaceimages/details.php?id=PIA13653).